このコラムは博士(工学)の仕事について紹介しています。
もう3回目ですね。すごい。
今回は博士のアイデンティティの話をします。
博士を博士たらしめるものは何か。
博士後期課程の3年生の春頃は、博士課程の学生はとても不安な気分になります。
1. 投稿論文がアクセプトされるかな。
2. 学位論文が書けるかな。
3. 来年からの就職どうしよう。
4. 自分はいつごろ結婚するのかな。
5. 海外で働きたいけどコネがないな。
6. 日本で学者になりたいけど公募に通らない。
7. 企業はどうなんだろう。研究させてもらえるのかな。
8. 奨学金の返済どうしようか。
9. 指導教員の先生とうまくコミュニケーションとるにはどうすればいいんだろう。
10. 今年は何人卒業させることになるんだ。
11. この研究で論文書けるかな。
12. 国際会議の予稿がまだできていない。
13. 査読の返事を書かなくちゃ。
14. なんで自分がファーストじゃないんだ。
15. 装置が空かないし、壊れた。
などなど春は別れの季節であり、出会いの季節ですので、気分も虚ろになり、いろいろと悩む時期です。
このようなブルーな時期は必ず来るものですので、朝寝坊でぐっすり寝たり、山登りしたり、サイクリングに出かけると少しは気分が楽になります。
たいがい夏ころには、悩んでいてもしゃぁないという気持ちになり、気持ちは上向いていきます。とくに心配はいらいないです。あ~こういうもんかと。
こういう時期の博士後期課程学生と研究について1時間くらいディスカッションすると、実に興味深い反応が返ってきます。
研究についてディスカッションすると、どうしても論点を明確にし理解を助けるために、ややネガティブな質問をしなければならない時があります。
・ここの部分についてもう少し詳しく説明して。
・こういう研究を知っているんだけど君のとはどう違うの。
・その方法よりこうしたらいいんじゃないの。
・なんでこの研究しているの。
・そのロジックはちょっとおかしくない。
上記のような精神状態の時に、はじめてあった人にこんなことを言われると、
・すごい剣幕で必死にディフェンスする。
・ただ怒る
・どんどん凹んでしまいには黙り込んでしまう
・泣く
というような人がけっこういます。質問が核心をついているほど、反応は大きいものになります。
では、このような気持ちになるのはなぜでしょうか。マスターの場合はそれほどの反応は返ってきません。
例えば目の前で両親のことを悪く言われれば誰でも腹が立つし悲しい気持ちになりますよね。自分は両親の子であるというのは、人が持つ大事なアイデンティティーだと思いますから、それに対してネガティブなことを言われれば、そのような反応になるのは普通だと思います。
博士にとっての研究もそれに近い反応なのだと思います。自分が全力で取り組んできた研究にケチ(尋ねている方はそのようなつもりはありませんが)をつけられるのは、気分の良いものではないですね。こういう時は冷静にきっちり反論し、まだ、足りないところは質問してくれた人に助言を求められるような謙虚さを持つことが大切です。それができるようになるまでに、ちょっとした壁がそこにあるのですが、それを超えられれば、今度は冷静に対応できます。
というわけで、そろそろまとめの時間が来ました。
博士後期3年や博士取りたての人にとって、自分の博士論文の研究は、自分が研究者であるという唯一のアイデンティティーなのです。これをプライドという人もいます。研究に対してプライドを持て、と助言してくれる人もいます。学生や博士取り立ての人は、その人の名前や経歴ではなく、研究によってのみ認知(アイデンティファイ)されるのです。
では、ずっと研究はその人の唯一のアイデンティティーかというと、そうでもないんですね。これが。研究によって認知される本当の意味での職業研究者はなかなかいません。その仕事はとても大変だからです。
では、大学の博士はどうしているか。講義や大学の業務をしてサラリーをもらっています。企業の研究者も企業の中の雑務をこなしながら、例えば他の博士への助言や会社のリクルート活動など、サラリーをもらっています。博士だからといって、研究の対価だけで生活できるひとはそんなにいないのですね。
それからだんだん学会活動なので、少しばかり有名にになってくると、研究よりも名前あるいはキャラが立つようになります。○○さんの研究かぁ。とね。研究よりは名前が認知されてくるのです。これはこれで名前が売れて研究費がとりやすくなるなど、いいことも多いです。
でもたまには全く自分の名前が知られていない、かつ、レベルの高い国際学会に行って、自分が研究によってのみ認知されるという博士とりたての頃のフレッシュな気持ちを取り戻すのもいいものです。
どうでしょう、博士になりたくなりましたか?